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2018/05/21(月)

ども、ご無沙汰しております。れがしーです。
1年以上ぶりの更新ですが、今日は自分のDDR以外のオタク話。

今年のKAC決勝の日の年一同窓会で、けけとRaye君に強く視聴を進められたアニメ、プリティーリズム・レインボーライブの全51話を、3か月ちょっとかけて視聴完了しました。
全体を通して、自分にとって良い作品でした。

自分が、アニメにしろ漫画にしろ実写映像作品にしろ小説にしろ、「良い作品」と思う基準はザックリ言って、ストーリー、演出、キャラクターの3要素がありますが、この作品は自分にとって、キャラクターが非常に魅力的でした。
ストーリーはその対象年齢設定もあり特に予想を裏切るような衝撃的な展開もなく、演出も自分には余り響くところは多くなかったです(歌(特にりんね)は良かったけど、映像は、自分には感銘より笑いが先行してしまいました)。
一方、事前にRaye君の布教活動によりキンプリ映画2作品を見ていたこともあり、(本来の時系列も含めた楽しみ方からは反しますが)キャラクターの魅力は非常に大きかったです。

魅力的なキャラクターは多かったですが、特に惹かれたキャラクターはカズキやべるです。
カズキは、キンプリ映画2作品を見た限りでは「滝の下でふんどし一丁で回っている頭おかしい人」程度の認識でしたが、わかなやあんに対する発言で深く感銘を受けました。
恥ずかしながら、自身の成育歴・経験を指摘されているようにも感じられ涙した回も複数ありました。「失敗したっていいんだよ」!

近いうちにキンプリ映画2作品も見返したいなと思っています。機会があれば、いつか経験してみたいと思っていた応援上映というものに行ってみるのも良いかもしれない。
「演出が頭おかしい作品」という感想は変わらないと思いますが、聖、ヒロ、カズキといったキャラクターについて、初めて映画を見た時とは全く違った視点で鑑賞できるかなと思います。


唐突にtotuIR/index.html

2017/02/02(木)

ご無沙汰してます、れがしーです。約半年ぶりの更新。

相変わらず元気に踏んでいます。
ここ半年の主な成果。

     

   

などなど(鬼バウンスは約7年前にも潰してるけど、当時は100回くらいかかったのに、今回は6回で潰れて嬉しかった)。
判定のブレがなくなって、実質的に判定が甘くなったことを差し引いても、発狂は今までで今が一番上手いんじゃないかなあと思います。

今の自分だったら、

     

この辺のLv16も粘着すれば行けんじゃね?とか思ってしまいます。
思ってしまうだけで、実際できるかは分からんのですが、昔の俺だったら「行けんじゃね?」と思った時点で、潰せるまで100回でも200回でも300回でも粘着してたと思います。

が、今はそのようなことをしたいと思えません。
16の粘着するくらいなら、17,18をもっと踏みたい(19はまだ無理!!)。
その方が自分の成長には資すると思うので、16の粘着に費やす時間と体力がもったいないです。

なんて話を、この前ほしケチと一緒に17,18踏みまくった際に彼に話したら、こんなこと言われて嬉しかった(でも「れがしー」は本人的には平仮名なんで、そこんとこは今後ヨロシク ^o^ )。
俺がライバル登録している、同世代の古参おっさんプレーヤー達にも上記のほしケチの言葉を贈りたいです。

鬼冥のリザルトがEXスコアになってることで想像した人もいるかと思いますが、KAC予選も一応挑戦してました。
100位以内を自分の中での目標にして頑張ってたんですが、丁度締め切り前の10日間ほどを風邪で棒に振り、予選期間後半に詰めるつもりだったBコースは全く満足な結果を出せずに終わりました。
残念!!



唐突に。
印象的だった話。

1.去年の8月にCGさんと話して「本当にそう思う!!」と頷きあいまくったこと

自分はもう結構いい歳だけど、さっきも書いたように、まだもう少し発狂上手くなれるんじゃないかなと思っています。
でもやっぱり悔しいのは、今自分が20代前半とかではないこと。
自分が20代だったときにDDRでは、DROP OUTが出て、MAX300が出て、鬼鯖が出て、FAXXが出て。
その度に自分は「なんじゃこれは!?こんなんクソむずいボス曲、人間が踏めんのか???」と思ってきました。
しかし、最近DDRを始めた若く体力もあるプレーヤーは上記の曲達を、それぞれLv13、15、16、17の「普通の譜面」程度に思い、「クソむずいボス曲」という意識はまずないでしょう。
自分も、そういう意識がない中で、かつ今よりも少しは充実している若い肉体で、上記の譜面達に取り組めていれば上達ももう少し早かったのではと、タラレバ話を妄想してしまい悔しくなります。

2.去年の年末にぐれん君と上記の1.を話して言われたこと

「そんなの10年後俺だって一緒かも知れませんよ。」
「10年後は『10年前とか鬼エゴごときが一番難しい譜面だったんだー、そりゃ今とは譜面に対する意識も違ってくるよね』とか話してるかも知れないじゃないですか。」

確かに。



閑話休題。

頻脈発作治療のための心臓の手術から約半年が経ちましたが、半年後の経過観察ということで、先日また24時間心電図計測装置を着けられ、着けたままの状態でDDRを踏みまくってきました(それが上記のほしケチと踏んだ日)。

去年8月の手術の2週間後にも、治療したはずの頻脈がちゃんと治ったかどうかの確認の意味で24時間心電図を取りました。もちろん計測装置を着けた状態でDDRもしました。
結果は頻脈は一切無し。とても嬉しかったし、もっと早く手術すれば良かったと強く思いました。
ただし、全く問題なしと言うわけではなく、治療対象だった頻脈発作以外の不整脈が現れていました。
詳細な説明は省きますが、24時間で心臓が約9万5千回鼓動したうち、心室に原因がある不整脈が457回、上室に原因がある不整脈が318回ありました。
「完全に健康な人なら両方とも0回の人もいるし、全く問題がないと言い切れるのは、その人の年齢と同じ回数程度まで。だからこの結果は異常は異常。だけど、医師が治療の必要があると判断するのは、人にもよるが3000回程度以上から。だからとりあえずは経過観察で良しにして、半年後にまた24時間心電図取りましょう」ということに。

それを踏まえて、今日、今回の分析結果の説明を主治医から受けてきたんですが、

医「こんな感じです。心室性の不整脈は8回(=0.1%未満)で全く問題ありませんが、上室性の不整脈が非常に多いです。」
れ「え、2千7百回ですか。。。」
医「いや、2万7千回(=30.3%)です」
れ「え!!!」

不整脈自体や、加齢、ストレスなどに伴い心機能が落ちてくると、平たく言えば全身に血が足りなくなり、動悸や目眩、更に酷くなると失神などの危険性もあるとのこと。
現状自分は特に何の自覚症状もなく、今日心エコー(超音波検査)も受けたところ、今現在は心機能にすぐに問題のある状態ではない、との診断でした。
でも、鼓動の30.3%が不整脈というのは絶対にまずいので、3ヵ月後にもう一度24時間心電図を取って、もし変わってないか悪化しているかしたら、もう一度手術するか相談しましょう、とのこと。

凹んだとか言うよりは、本当に自覚症状は半年間全く無かったので、ビックリしたと言うのが本音です。

ちなみに、318回の上室性不整脈が半年間で27,000回にまで増えた原因は何かと聞いたところ、以下の説明でした(簡略化してます)。

今回の検査結果だけで確定的なことは言えないけど、可能性として考えられるものはある。
上室性の不整脈は脈が遅くなる傾向の不整脈で、頻脈が起こっているときは、入り込む余地が無くて発現しない。
それで、頻脈がキレイさっぱり治った今になって、上室性の不整脈の方が出放題になってしまっているのかも知れない。

とのこと。

そして、自分にとって一番重要な点を、しっかりと確認しておきました。

れ「日常生活に何か制限はありますか?運動してもいいですか??」
医「全く問題なし。今回の24時間心電図の結果を見ると、運動していた時間帯は、逆に上室性不整脈はほとんど発現していない。恐らく先ほど言ったように、脈が早くなっているので上室性不整脈が起こる余地が無くなっているのだと思う。その結果を見ても、運動がこの不整脈に悪影響を及ぼすということはないと推測される。」

とりあえず、そこだけ分かれば十分でした。
3ヵ月後にどんな結果が出て、どんな展開になるのかはまだ分からんし、分からんことを今心配してもしょうがないし。
そんなことより一番重要なのは、「今DDRして良いのか」です。

また当面、発狂を頑張りたいと思います。

2017/02/02 Lworld / れがしー


2016/08/11(木)

ども、れがしーです。

無事手術も成功し、今日の午前中退院できました。
前回も書きましたが、心臓の手術と言っても外科的に胸を開くわけでは無く、足の付け根と鎖骨の下の2ヵ所からカテーテルという非常に細い管を入れるだけなので傷口も小さく、術後2日目でもう退院です。

手術はもちろん入院も人生で初めてでしたが、なかなかしんどいもんでしたね。
手術自体よりも、手術後の寝たきり生活や、それに伴い必要になる措置が辛かったです。
入院中には、延べ12人ものDDRerがお見舞いに来てくれました。感謝。

で、肝心の治療状況ですが、自身にもはっきり自覚のあった頻脈の原因は、「房室結節回帰性頻拍」によるリエントリーと判明し、この原因となる余計な電気信号回路を焼灼して機能を殺し、治療を完了したとのこと。

しかし、今回手術に先立ちカテーテルを用いて検査を行った結果、またそれと以前取った24時間心電図の結果を合わせて考えると、以下4点の原因がまだはっきりしない状態とのことで、残念ながら全ての不整脈が完治というところまでは至りませんでした。
・1点目:上記の頻拍以外の、別の原因による頻拍も混ざっている可能性
・2点目:以前より年一の健康診断でも何度か観測のあった、心室性期外収縮(心室に原因があり脈が飛ぶ)
・3点目:心房性の期外収縮(心房に原因があり脈が飛ぶ)
・4点目:そもそも、心臓の脈動リズム生み出す電気信号を作りだす洞房結節の働きが弱い

4点目については、単純な不整脈ではなく、別の心臓病の原因による二次的な症状ものかも知れないとのこと。
これらの原因を探るため、29日にこれまた人生初のCTを撮るとのことに。
また、治ったはずの房室結節回帰性頻拍の経過観察をするため、25日に今一度ホルター心電図(24時間心電図)を付けるとのこと。

とまあ色々と不安が残ってしまいましたが、原因がはっきりしていない状態で心配しても仕方がないし、今回の手術自体は問題なく完了したので一段落といったところです。
それに、色んな頻脈がまだ残ってしまって今後治療が必要だったとしても、俺にとって最も重大な問題は「頻脈に悩まされることなくDDRができるか」なので、そこが解決したのなら満足です。

傷口が塞がるまで一週間は、足に力を入れる運動は控えて下さいと言われてしまいましたが、一週間経ったらガンガンDDRしてみます。

ではまた。

2016/08/11 Lworld / れがしー



2016/07/30(土)

約1年ぶりの更新です。
このサイトの存在を覚えてくれてる人は、どれくらいいるんでしょうか。

昨年復帰してから結構元気に踏んでます。
新作が出て、判定のブレが無くなったのも自分的には大歓迎。
初めは違和感ありまくりだった甘くなったスコア計算も、さすがにもう慣れてきましたね。

最近の成果。

   

などなど。
15以下は、準備運動以外ではほとんど踏まなくなりました。

この歳になってもまだ発狂譜面で成長できるというのは、自分でもちょっと驚きです。


とまあ、DDRは順調に楽しめているのですが、ちょっと体調に問題あります。
子供の頃からずっと、不整脈の持病があるのです。
年一回の健康診断での心電図検査でも、過去様々な異常がありました。
ここ10年に出た異常だけでも、
・洞性徐脈(bpm43)(←多分DDRをしてることによる「スポーツ心臓」)
・異常Q波
・左軸偏位
・右軸偏位
・不定軸
・時計軸回転
・心室性期外収縮
・R波増高不良
など色々と出ており、何度も二次検診送りになっています。
二次検診では、採血されたり、踏み台昇降運動の前後で心電図を取られたり、心エコーを撮られたりと色々ありましたが、全て所見は無し。
体質の範囲という診断でした。

しかし、上記の健康診断でひっかかる不整脈以外に、もっともっとやっかいな不整脈があります。
突発的に頻脈の発作が起こるのです。

基本的は激しい運動をした後に出ます(運動の最中ではなく、運動の後)。
初めて経験したのは、確か小学校4年か5年のとき、体育で徒競走をしたあとでした。
20代になり、体育の授業というものがなくなった後は、基本的にDDRをプレーした際に出るようになり、難儀しています。

また人生で2回だけ、「運動はしていないが極めて緊張している」という状況で発作が起こったこともありました。
(1回は大学受験で二次試験最初の科目だった国語の試験開始前から試験開始後30分後くらいまで。もう1回はトプラン2008のエリア決勝でアンジェラスを踏むしばらく前から踏み終えた後まで。)

発作が起こる頻度としては、以前は1回DDRしに行って10クレ踏んだら1,2回起こる程度でしたが、今年に入ったくらいから頻度が高く、1日に7回も8回も起こるようなことが続いていました。
症状としては基本的には頻脈ですが、逆に急に脈が非常に遅くなったりもします。また、もう余りに発作に慣れすぎて、発作が起こった際と治まった際は、はっきりその自覚があります。
発作中は、運動をすると大量に汗が出て、全身が非常に疲れます(←アンジェラスでAA判定を出した言い訳でもある)。
まれに、軽い目眩を覚えることもあります。
発作は短いと1分程度、長いと30分以上。

年一回の健康診断での心電図測定では、上記を申告しても結局測定中には発作が起こらないので、毎回この件については所見無し。
そんな状態が10年以上もずっと続いていました。

そこでこの6月に、24時間心電図を計測し続けられるホルター心電図というものを病院で付けてもらい、その状態でDDRをしてわざと頻脈を起こし、分析してもらいました。
頻脈を上手く出せるか心配ではありましたが、上記のように今年に入ってからは、DDRをプレーすればすぐに出てしまうというような状態だったので、首尾よく(?)発作を起こすことができました。

結果、発作中は心拍180以上が10分以上続いており、ピーク時は268回/分まで上昇(その際の心電図)。
これでは、十分に血圧が上がらず、失神などのリスクもあるとの診断。
(医師からそう説明を受けて、とっさに思ったことは「bpm268つったらパラ鯖並だ」だったDDR脳)

また、朝方に特に何をしているでもないときに、脈が飛んでいるのも確認されたとのこと(その際の心電図(下側)、こちらは本人に自覚はありませんでした)。
要するに心臓が鼓動する回数が正しい回数より足りなくなっているので、これが頻繁に起こると、やはり血液が体内を循環せず危険。
今後の検査によって、埋め込み型のペースメーカーが必要かも知れないとの診断。

ということで、8月9日に心臓の手術を行うことになりました。
手術と言っても、外科的に胸を開くのではなく、カテーテルという非常に細い管を足や鎖骨辺りの血管に挿入し心臓まで到達させて、問題部位を焼灼するという治療法(「カテーテルアブレーション」)で、問題なく手術が成功すれば、10日か11日には退院できるそうです。

ただし手術の過程は、はじめにカテーテルを複数本挿入し心臓の様々な部位に電気信号を加え、どこにどのような信号を与えるとどのような不整脈が起こるのかを確認して不整脈の原因を特定し、それがアブレーションで治療可能ならそのままアブレーションに移行する、ということで、今回の手術だけでは全ての不整脈が根治できない可能性もあります。
もしそうなっても、今回の手術で各不整脈の原因がより詳細に分かるようにはなるとのことだったので、長年悩まされた持病とオサラバするのに一歩でも近付くためにも、是非手術を受けたいと決断しました。

統計的には特にリスクは高くない手術だし、この年齢で他の内科的な病気もないのでリスクも一層低いとのこと。
しかし、リスクゼロの手術はないということで、先日インフォームドコンセントを受け、同意書を書いてきました。
もし死んだら、葬式にはたくさん知り合いが来てくれると嬉しいかな。


それでは、半月後には全ての不整脈が根治されていることを願って、今日はここで締めます。

2016/07/30 Lworld / れがしー



2015/08/21(金)


お久しぶりです、れがしーです。

最近結構元気に踏むようになって、ちょこちょこTwitterに自己満リザルトも上げているのですが、知り合いから

・そんなに踏んでるとは知らなかった
・去年サイトを閉めたあと、どうしてるか心配し続けてる人もいると思う
・そういう人達に現状を知らせる意味でも、サイト更新しても良いのではないか?

というような趣旨のことを言われ、確かにそうかなとも思ったので久しぶりに更新してみることにしました。
確かにTwitterじゃあ、フォローが多い人はもちろん、そうでない人もTL追ってるとは限らないですからね。俺自身も、あんまり追ってないし。
かと言って、もはやここに書いてもどれだけの人が見てくれるかは疑問だけど、やはり俺というプレーヤーの近況を書くのはここが相応しいのかも知れません。

去年の3月頃に、DDRをする気が無くなってから、本当にほとんどプレーしてませんでした。
別に辞めたかった訳ではなく、単純にやる気が起こらなかったのです。
DDRをしないというのは、俺にとっては生活の一部が抜け落ち、人間関係も大分変わってしまうと思ったし、本当に生き甲斐を失うかのように感じたので、随分塞ぎ込みました。
それでも、(一緒にDDRを遊ぶというのは抜きにしても)変わらず接してくれた友人達には本当に感謝しています。

DDRをやらなくなって、代わりに色んなことをしてみました。
例えば、本を読んでみたり、DVD借りてきて映画を見てみたり、ジョギングしてみたり。
でも、どれも熱中できませんでした。
ジョギングなんか、わざわざウェアとシューズも買ってみたりしたんですけど、長続きしませんでしたね。
あと、お酒を飲んで積極的に酔っ払うことを覚えてしまいました。そのせいで、お酒のせいでの失敗も何度か(ご迷惑かけた人、本当にごめんなさい)。

そんな張り合いのない生活が長く続いたんですけど、去年末からのKAC予選を見て心動かされました。
自分ごときが言うのはおこがましいですが、ライバルと競い合い、懸命に努力する知り合い達の姿を見て「また自分もプレーしてみたい!」と思うようになったのです。

それで、KACの決勝が終わった頃から、徐々にDDRに復帰しました。
初めは、本当に体力が続かなくてまともに踏めませんでした(その頃のツイート)。
しかし今は、全盛期ほどではないまでも、大分体力も回復し(瞬発力・持久力とも)、また技術的にも以前より効率よく踏めるようになったようで、Lv16〜18の一部の譜面をガンガン踏んでます(大したスコアは出せていませんが)。

いったんDDRをやめる前と比べ、自分でも驚くほどプレースタイルが変わりました。

自分はかなり古いプレーヤーで、スコアラーを志したときはPAから始めたこともあり「全部埋める」というところにかなりこだわりを持っていました。
(過去作品の状況:X2 X NOVA2 NOVA EXT

X3、2013以降も、基本的に新曲の激はできる限り全部プレーして潰せるものは潰し、いかに出来るだけ高難度の譜面でPFCを取るかということこそ至上の喜びとしてきたんですが、復帰してからは大分嗜好が変わりました。
「できる限り埋める」ということはしなくなり、自分が面白味の感じられない譜面は、全然プレーしなくなりました。
一部の他機種連動解禁などを除き、ほぼ解禁は追いついていますが、解禁させただけで未プレーの曲がかなりあります。

また、「粘着すれば潰れるだろうな」と思う曲も、敢えてやらないものが多くなりました。
前だったら、Lv14、15辺りで潰せそうな曲があったら、何よりも先に粘着してましたが、今は「準備運動で選んで、もし潰せたらラッキーかな」という感覚です。
今はそれより、Lv16〜18の自分の好きな譜面で、試行錯誤したり、参考になりそうなアドバイスを取り入れてみたり、単純に死ぬほど汗かいたり、ライバルと目する人のスコアを気にして一喜一憂したり、そんなことを楽しんでいます。

好きではない譜面はほとんどやっていないし、BUZZにも余り興味は無いので、大会での競技者という意味では、前にも増して弱くなっていると思います。
でも前よりは、趣味の楽しみ方としては健全になれたかなとも思っています。



ちょっと別の話。

DDRやっていない間に本を読んでみたと書きましたが、自分は普段から余り本を読む方ではなく、活字という媒体はあまり自分には印象に残らないかなと感じました。
そんな中で2冊だけ、印象に残ったものがあったので紹介します。

梅原大吾「勝ち続ける意志力」
大学時代の友人に紹介された1冊。ご存知、日本唯一のプロゲーマーの自叙伝。
一般的な書評は、ネット上にもたくさん出回っている通り。
「目的は勝つことではなく、成長し続けること、そのために変化し続けること」といった内容が繰り返し述べられていました。
どうしても自分は、自分や自分以外のDDRerに置き換えて考えてしまうところが多かったです。
さっき書いたように、自分はもはや一般的な意味での競技者では無いけれども、競技者であったときどのように目的意識を持ち続けることができたか。
上記の内容は理想ではあるけれども、やはり「勝つための練習」をするのも当然ではないのか。特にDDRを初め、勝負に対する準備・作戦がものを言う競技では。

村上春樹「Sydney!」
こちらも大学時代の友人に紹介された1冊。シドニーオリンピックの取材を中心としたエッセイ集。
長い。スポーツ以外の描写が多く、軽快で巧みな文体の秀逸なエッセイなのでしょうが、自分は生憎オーストラリアの文化にも歴史にも気候にも観光資源にもさほど興味は無いので、全体を通してはあまり興味を持てませんでした。
ただ、トップアスリートの闘いに関する描写は引き込まれました(特に男子100m決勝の描写など)。ここでも、やはりDDRでの闘いに置き換えて考えてしまいます。
まあ、さすがにDDRerには、大会等で民族や文化を背負っていることを意識しているプレーヤーは殆どいないと思いますが。
ただオリンピアンは、プロ選手として五輪に参加している訳ではないのに、勝手に国民に期待され、勝てばもてはやされ、負ければ見向きされない。
そうした側面はDDRにおいても、自分を含め、勝手にトッププレーヤーに期待を寄せてしまうところがあるなと、読みながら改めて考えていました。

そしてもう一点。巻末にあった有森裕子選手へのインタビューが印象的でした。
彼女は、一般に「体育会系」という言葉で表現されるような環境に異を唱えていました。
以下引用。
たとえば女子マラソンのランナーは、トップでやっていくためには男とつきあっては駄目だと言われます。恋人がいては困る。
そういう相手がいると、選手はつらいことがあると、そこに逃げてしまうからです。
追い込まれたときに、弱い部分をすぐに出せるような人がそばにいると、必ずそこに逃げこみます。
だから監督としては、なんとしても逃げ場を作らせないようにするんです。
自分が100パーセント、相手をコントロールできるようにしておきます。
その方が効率がいいんです。
でもそれは本当に正しいことでしょうか?
だってそういう勢いだけでやっていける年齢というのは、人生の中で本当に限られていますよね。
だからその年齢が過ぎてしまうと、あとはろくに走れないということになってしまいます。
それが今の日本のマラソン・ランナーの現実です。それが正しいことだとは、私には思えないんです。
 (中略)
ご存知のように、この世界では勝てば正義なんです。そして私はそのことをあれこれ言っているわけではありません。
私だってその正義にある程度のっかってきた人間ですから、偉そうにひとのことは言えません。
でもそれはそれとして、私は私が求めているランナーの姿に自分を少しずつ近づけて行きたいと思っているんです。

自分は、「体育会系」という世界はかなり嫌悪感があります。いじめ、パワハラと何が違うんだという感覚。
しかし、それがトップアスリートの世界(或いは高校〜大学辺りの学生スポーツ)ではまだまだ、「そうでなければ強くなれない」という意識があるのだということも容易に想像が付きます。
では、DDRの世界に置き換えてみたらどうか?
あるいはDDR以外で、自分の場合まともに努力したことがあるものと言えば勉強くらいなもんですが、勉強ではどうか?
どちらも、様々な訓練方法があり、各自が自身に合うものを選ぶことができ、実際色々な方法でトップクラスになる人がいる世界なので、「コーチに何を言われても従う」というようなことは無いと思います。
やはり、自分には体育会系という世界は馴染めそうにありません。
しかし、DDRで知り合った友人の中には、学生時代に厳しいスポーツ生活を送ってきたきた(と聞いている)人も何人かいます。
機会があれば彼らに、どのようなメンタル・モチベーションでそうした生活を送っていたのかと聞いてみたい気もします。


大分長い、そして面白くも無いかと思われる文章になりました。
書き上げるのにも、推敲するのにもかなりの時間がかかっています。

サイトの更新をしていない間に、「サイトの復活待っています」なんてことを言われたこともありました。
ファンがいてくれたというのは嬉しいことですが、読ませる文章を短い時間で書き上げる術も忘れてしまったようで、サイトの定期的な更新はやはり無理かなと思います。

自分に何か大きな変化があれば、また更新するかも知れません。
ゆにぞうページリンク集もあるので、サイト自体はまだしばらく残しておこうと思います。

長文失礼しました。


2015/08/21 Lworld / れがしー